2009年9月22日 (火)

東アフリカ・バードウォッチングガイド

8:30 晴れたり曇ったり 南西の風 蒸し暑い
まれに見る不作の日・・・オオヨシキリらしいのがぐぜっていた以外何もいないので帰って読書。

表紙やイラストの鳥が魅力的な A Guide to the Birds of East Africa  といってもガイドブックじゃなく小説。バードウォッチングをモチーフにした大人の恋愛コメディなのだ。それもかなり大人というか、還暦近い人々の。

主人公はケニアのナイロビに住むインド系実業家のマリック氏。ずっと以前に妻をなくし、野鳥観察を趣味とする彼は、毎週火曜日の探鳥会のリーダーであるスコットランド女性にひそかな恋心を抱いている。彼女は暗殺されたケニアの野党党首の未亡人でもある。

このところ薄くなった髪が気になるマリック氏が意を決して彼女を舞踏会に誘おうとしたまさにそのとき、ライバルが出現する。それもプレイボーイの同級生!妙な成り行きで、マリック氏とライバルは、エスコートの権利をめぐって「一週間のうちに見た鳥の種数」で決着をつけることになる。

つまり二人はビッグイヤーならぬビッグウィークを戦うわけである(ビッグイヤーとは、一年のうちに鳥を何種見たかを競う、やたらと時間と金のかかるスポーツ)。美しい鳥たちにいろどられた、恋のさやあての結果やいかに?各章のタイトルに描かれている鳥は、African Emerald Cuckoo;   Pale Chanting Goshawk;   Red-bellied Tree Duck;   Paradise Flycatcher  などなど。Fascinating, isn't it?

旧植民地のインド人社会には、イギリス風の優雅さが残っているらしい。二人の勝負も、社交クラブの裁定のもとに行われるのだ。紳士たちの馬鹿馬鹿しくも礼儀正しい戦いぶり、それにケニアの素晴らしい自然への愛と、あまり素晴らしくない政治への風刺が、ストーリーを心温まるものにしている。鳥好きのロマンチックな人に。ケニアに興味がある人にも(野生動物が有名だけど、野鳥の数も1000種近いそうな)。

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2009年7月31日 (金)

Into Thin Air

今読んでる本のタイトルが、以前に紹介したOut of Thin Air と対になってるというだけの話・・・かたや恐竜の進化、こちらはエベレスト史上最悪の遭難事故の話と、互いになんの関係もない。共通しているのはthin air = 低酸素濃度だけである。

同じ著者のInto the Wild は映画化もされたベストセラーだったから、それと同じスタイルで取材して書かれたノンフィクションだと思って買ったら、著者自身が事故の生存者だと前書きにあっておどろいた。彼や他の登山者が高度8000mで体験する高山病は、下界で想像するよりずっと恐ろしい。酸素が足りないと、基本的な生命活動が阻害される。食物を消化することさえできず、食事をとっていても飢餓状態と同じなので、体は自分自身を消化し始める。脳や肺が致命的なダメージを受けることもある。

大量遭難の直接の原因は天候の急変だったが、経験十分とはいえない登山者たちの体力と判断力を酸素不足が大きく削いでいく様子が生々しく語られている。(読んでいるだけで息苦しくなってきて、今週なんだか体調が悪いのはそのせい?)

われわれ哺乳類はこのような酸素圧の低下に適応するようにできていない。空間的にはそもそも垂直移動の能力が小さいし、時間的には恐竜が進化した頃のような超低酸素の時代をまだ経験していないのである。

鳥はこの点でずっと優れている。アネハヅルは8000mの峰を翼で越える。そんなことができるのは、恐竜から受け継いだ(あるいは鳥が恐竜に与えた、という説もあるが)呼吸システムがあってのこと。体じゅう、骨の中にまである気嚢に空気をため、しかも非常な速さで換気ができるガス交換系が、薄い空気の中での激しい運動を可能にしている。ほんとうにすごい生き物なのだ。これを読み終えたら、Out of Thin Air を読み返してみよう・・・気分が良くなるはずだ・・・

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2009年6月13日 (土)

蜜蜂の生活

『ハチはなぜ大量死したのか』が売れているらしい。世界各地でミツバチの失踪が問題になっていて、ウィルス、寄生虫、農薬、さまざまな原因が考えられている。邦題はその謎解きの部分を強調するかたちになっている。

そういう読み方もある。が、どちらかというと著者がいいたかったのは、そのように問題を個別の要因に還元するアプローチを捨てよとの提案であろう。

原題の Fruitless Fall  (実りなき秋)はレイチェル・カースンのフレーズであり、Silent Spring (沈黙の春)と対をなす。昆虫を中心とした花粉媒介者がいなくなれば、木々や草に実はならない。森は針葉樹だけとなり、われわれの食卓はイネ科植物由来の食品に頼ることになろう、という警告である。

2009061301_4

ミツバチは、いうまでもなく花粉媒介業に特化した生物。大昔に祖先が花々とかわした契約を誰よりも真剣にうけとめ、忠実に(過度なまでに)実行してきた。被子植物の繁殖に貢献しようとするあまり、みずからの繁殖方法をかなり特殊なものとしてしまったほどだ。

 

2009061302_2 かれらの生活は、自然がわれわれに課した有性生殖という縛りにたいする一種の挑戦といえる。知れば知るほど、個体とはなにか、性とは何かがわからなくなり、当たり前のことと信じている世界が揺らぐ。

 

2009061303_2 ミツバチの生活についてはほかにも魅力的な著作がある。メーテルランクの『蜜蜂の生活』 La Vie des Abeilles は100年とすこし前、科学と文学が一体だった時代の出版。このあとの100年間、科学はひとり突っ走って文学をおきざりにしてきた。詩人がいまの蜜蜂の状態をみたら何というだろう。おそらくジェイコブセンの主張に同意するのではないだろうか。

生物の最初の授業で、花を観察するときは訪れる昆虫に注意するように教わった。今後、ポリネーターを無視して花だけを愛でることはすまい。それが何万種という美しい花々の、たった一つの願いなのだから。

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2008年6月15日 (日)

ココカン・マリン (リュウキュウヨシゴイ)

ココカンとはインドネシア語でサギ類一般のこと。鳴き声を模した名前なのだろうが、なんだか可愛い響きだ。こんど3年ぶりにバリ島へ行こうとしているので以前のエントリーの続きを書こうと思う。

ある日ゲストハウス裏の田んぼを散歩していると、「カカカカカカカッ」という尻上がりの奇声がどこからか響いてきた。あたりを見回してもいちめん青い稲がなびいているばかりで、声の主は見えない。変な声、と笑っていたら、畦道に腰を下ろしていたお爺さんが "ありゃ、Malingだ" という。

マリンって何だ?そのときはなんだか分からず、鳥かどうかすらも分からなかった。宿に2008061501 戻ってBirds of Bali という本を参照。美しいイラストと、バリの鳥と自然への愛情あふれる文章が一体となったすばらしい本だ(だが、残念なことに索引がない)。これをつらつらと読んでいると、帰国する頃にKokokan Maling という項目にいきあたった。Maling とは泥棒のことで、警戒心が強く人目を避けるこの鳥の習性を、やましいことを企んでいると見立てたものだという。

で、肝心の種名はというとCinnamon Bittern とある。まだ鳥を見はじめた頃だったので、イラストでサギっぽいということはわかってもこの時点では正体不明である。家に帰ってから、英名索引のある図鑑を持っていなかったので『コンサイス鳥名辞典』(テキストのみ。誰が何のためにこんな辞典を作ったのだろう)にあたり、やっとリュウキュウヨシゴイという和名にたどりついた。

さいごに手持ちの図鑑でリュウキュウヨシゴイの写真をみると、夜に部屋の下に飛んできていた赤茶色の鳥であった。というわけでこの鳥は近所に生息していないにもかかわらず私のライフリストの最初の方に載っているのだ。なかなか正体がばれなかったのはさすがに泥棒である。怪盗ココカン。

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2008年3月20日 (木)

空飛ぶ恐竜

このあいだ読んだ『恐竜はなぜ鳥に進化したか』 の中で、Dinosaurs of the Air という本が紹介されていた。現在では鳥類は恐竜の子孫であるというのが通説だが、この本の主張は、かならずしも恐竜→鳥という順番であったとは限らない-むしろ恐竜の中でも獣脚類には鳥類と共通の空飛ぶ祖先がいて、ベロキラプトルやオビラプトルはそれが飛ぶ力を失ったものなんじゃないか、という説らしい。えらく大胆に聞こえるが、鳥好きには気になる仮説である。

翻訳が出てないらしく原書で買うかどうか迷ったけれど、なにしろ著者は恐竜学者・兼・恐竜画家で美しいイラスト満載というのでつい注文してしまった。編集者レビューには一般読者でも楽しめると書いてあるし、ま、なんとかなるだろう。本当はまだ読んでないからおすすめリストに入れるべきじゃないのだろうが・・・表紙の絵が魅力的で届くのが今から楽しみなので載せておく。

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2008年2月24日 (日)

Out of Thin Air

今週末は強風にたたられて出かけられそうもなく、読書。『恐竜はなぜ鳥に進化したのか』地球の過去の大気組成に注目して、呼吸システムから恐竜と鳥の進化を説明した新仮説である。

20年前、『ジュラシック・パーク』の頃は、恐竜は温血で活発に走り回っていたという仮説が注目されていた。しかしその後、主流の意見は当時の酸素濃度を考えると恐竜のエネルギー効率はそれほど良くなかったはずという方向に傾いていたはず。

が、この本では恐竜も鳥と同じような含気骨にくわえて気嚢を持っていたのではないかという。そして効率的な呼吸器官のおかげで、哺乳類ならのろのろとしか活動できないような薄い空気の中で敏捷に行動できたと推測する。そこまでできていれば空を飛ぶところまであと一歩。一方で、一部の恐竜は防寒のため発達した羽毛を持っていた。つまり鳥は鳥になる前から飛ぶ準備ができていて、なるべくして鳥になったということ・・・

もし酸素濃度の移り変わりの歴史が違っていたら、今のような哺乳類の時代はついにやってこず、「空にも、陸上にも、海中深く潜っても、多様で信じられないほど美しい鳥の世界ができあがっていたかもしれず(p13)」、われわれは道を歩いていてダチョウの化け物に襲われたり、翼開長10mのノスリにさらわれたりする危険に怯えて暮らしていたかもしれない。恐ろしいがぜひ体験してみたい世界である。

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2007年12月15日 (土)

夢幻会社

鳥の出てくるSFをまた思い出して読み返してみた。ロンドン近郊、テムズ河畔にシェパトンという街がある。ある日ここに、ヒースロー空港から盗んだセスナで飛び立った男が墜落した。それ以後、飛行にとりつかれたこの男の妄想が具現化したのか、街は祝祭空間と化してしまう。通りには熱帯植物が生えのたくり、スーパーマーケットはジャングルに埋もれた。川にはクジラやイルカの群れが訪れ、住人は夜な夜なコンゴウインコやコンドルやオオハクチョウに姿を変えて狂乱のうちに飛び回る・・・

というキチガイみたいな話なのだが、映画撮影所と飛行場がある川沿いの町、という設定がたまたまこのブログの舞台にそっくりなのだ。そのせいで、羽毛と花がちりばめられた色彩過剰なイメージに、あるはずもない現実感が加わってしまう。週末になるとやや心もとないエンジン音を響かせてやたらと上空を飛びかうセスナを、不穏な期待をもって見つめるようになったしだい。

J. G. Ballard: The Unlimited Dream Company   邦訳 『夢幻会社』 増田まもる訳 サンリオ文庫

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2007年9月11日 (火)

祈りの海

鳥の話じゃないですが。

泊まりの出張に読むものを持っていくのを忘れ、閉店間際の本屋に飛び込んで買ったSF短編集がなかなかよかった。『祈りの海』グレッグ・イーガン著、山岸真訳、ハヤカワ文庫。

冒頭の「貸金庫」では、ある残酷な実験の犠牲になった赤ん坊がいかに自分の意識を他人に「預け」て生き延びたかが語られる。人間にとって自宅ともいうべき自前の肉体を持たず、家族もなく、いわばスーツケース一つで他人の体を渡り歩いてきた彼が、謎だった自分の名前と出自をぐうぜん発見したときの反応は・・・?  このところホテル暮らしの身にとっては、彼の孤独と救済は胸にせまるものがありました。

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2007年5月20日 (日)

どこからなりとも月にひとつの卵

イネ科の花粉症がひどくて出かけられず。ハヤブサだけ探しにいったけれどやはりいない。どうやら引っ越したらしい。50cm四方のスペースでは卵を産むには狭すぎたか。もっといい場所を見つけて無事繁殖しているといいけれど。

卵といえばむかし読んだSFの短編を思い出した。珍しい卵を集めて孵化させるのが趣味の孤独な四十男。未来なのかパラレルワールドなのか、その世界では彼のようなコレクターのための頒布会があり、宇宙のあちこちからさまざまな未知の生物の卵(孵化マニュアルつき)が毎月ひとつずつ送られてくるのだ。

たしかに殻のある卵には想像力をかきたてるものがある。見えないところで何かが確実に育ちつつある。主人公は毎回、卵が孵るまでの何週間かはじりじりするような期待と焦燥にさいなまれ、いよいよ殻にひびが入り始めると興奮で居ても立ってもいられなくなる。割れ目からのぞく光る眼、その隣は小さな足、それともくちばしか?

だがいったん孵化が終わり、殻から出てきた異星のトカゲや鳥を目にすると、彼の熱狂はいつも嘘のように冷め、その生き物に対する興味をなくしてしまう。情事が終わったとたんに次の女を夢想しはじめる浮気男のように。いったい自分は卵から何が出てくるのを望んでいるのか?それが判るのは、頒布会からムンクスックス鳥mnxxの卵が届いたときだった・・・

この場合、卵はやはり爬虫類か鳥類のものでなければならぬ。昆虫だって殻のある卵を産むが、もともと外骨格だから孵化といっても脱皮の一種のようなものだ。そうではなく、ひとつの小宇宙を外界からへだて内包するものとしての卵。ムンクスックス鳥ならずとも、ウグイスの卵だと思ってたらホトトギスが出てきて、仮親の労働を喰いものに怪物的な大きさに育つなんてことが起きる、そういう危うさをはらんだ卵である。

20070520 この話の著者と原題は Margaret St. Clair: An Egg a Month from All Over 邦訳『どこからなりとも月にひとつの卵』 野口 幸夫訳 サンリオ文庫 は絶版。

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2007年2月25日 (日)

On the Wing

快晴、北風強い

朝9時、ハヤブサを見に行く。予想通り集合住宅の壁に二羽でとまっていた。初めて目の前でハヤブサを見たときは感動したのに、毎日おなじ人通りの多い場所に家族でまったりしているのを見るとなんだか拍子抜けする。大きいセキセイインコ?という感じ。とはいえ猛禽に思い入れを持っているのは人間の勝手で、鳥にしてみれば生息場所の激減に適応した結果こうなっているだけだろうが。

天気は良いがあまりに風が強く寒いのでめげて帰る。注文してあった On the Wing: To the Edge of the Earth with the Peregrine Falcon が届いていた。ハヤブサ(の亜種Falco peregrinus tundrius)にトランスミッターをつけ、テキサスから北極圏へ、そしてまたカリブ海まで戻る旅に飛行機でつきあった物好きさんの記録だ。第1章、筆者がパイロットを調達するところまで読む。

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2007年1月14日 (日)

Bird Alone

Bird Aloneという曲をずっと探していたら、なんと自分が以前に買ってほとんど聴いていなかったCDの最後に入っていた。

鳥よ、ただ一羽で空高く/雲の合間を飛び抜けていく/その声、物哀しく胸にせまり/荒野の上に舞い上がる

トマス・クックの"Peril"(読んだのは邦訳『孤独な鳥がうたうとき』文芸春秋、村松 潔訳だが、なぜかリストに表示できない…)。マンハッタンでも場末のジャズクラブを舞台にした小説だ。その中でヒロインが持ち歌としていて、いわばテーマ曲となっているのがこの曲である。

鳥よ、ただ一羽で地上低く/青草茂る野原を越えていく/向きを変えやがて姿を消すとも/夏の夜に歌声を聞かせておくれ

Birdという単語の音は、対象をよく現わしていると思う。短く小さく、濃くて、震えている。鳥そのものの印象ではないか。

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2006年12月14日 (木)

ヨウスコウカワイルカ

「カカポ」の項で紹介した"Last Chance to See..."に出てくるヨウスコウカワイルカが絶滅したらしいというニュースを読んだ。Baiji Dolphinは揚子江固有種でもともと生息域が限られていたうえ、流域の水質汚染が進んだせいと考えられているという。またエコーロケーションで採食するカワイルカにとって、轟音を立てて揚子江を行き来する船舶は他人の家の台所に土足で上がりこんで破壊していく強盗のような存在だったにちがいない。アダムズの著作のユーモアの底に静かにひそんでいた、人間の傲慢に対する怒りがひさびさによみがえった気がした。

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2006年6月24日 (土)

川の名前

日没前にカワウを数えに行った。送電線に約100羽。それからアシ原でねぐらをとるツバメの大群。去年より多いかもしれない。日が沈んだ後もまだ明るい空を、鳴き交わしながら飛び回っている。

夕暮れの岸辺に座って流れる川を見ていると不思議な気持ちになることがある。ここがこの場所でないような、この国でないような。世界中の川は海を介してつながっているから、魂だけならどこの岸辺へだって自由に行けるはずなのだ。メコンでもチャオプラヤーでも。

海を介してつながる川、という感覚は川端裕人『川の名前』から。物語の舞台のモデルとなった川はここの支流のひとつだ。ペンギンは見かけたことがないがペンギンそっくりのゴイサギならいる。

ツバメの声が急に高くなったので我に返ると、かなり暗くなった空に猛禽のシルエットがあった。チョウゲンボウだ。ツバメの群れにつっこみ何度も襲っている。1羽を空中で捕らえた!と思うとすぐに翼をひるがえして町の方向へ去った。

5分後、ほとんどねぐら入りしたツバメに代わってコウモリが飛び始めている。と、またチョウゲンボウが現われた。同じ個体かどうかはわからない-ちょっと早すぎる気もする。同じだとしたら、近くにいるつがい相手にツバメを渡して戻ってきたか。空中でコウモリを襲い、今度はあっさりと1匹とらえてまた同じ方角へ去っていった。

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2006年3月15日 (水)

カカポ

ハシビロコウにつづいて世界の変な鳥シリーズ。カカポ(フクロウオウム)はニュージーランド固有種の飛べないオウムだ。地球上に現在86羽。少ない?いいや1990年代には全部で50羽ていどしかいなかったのが、保護再生プログラムの必死の活動によって7割増しにまで回復したのだ。オフィシャルサイトは http://www.kakaporecovery.org.nz/kakapointro.html

写真で見ると緑色で丸っこくて見ようによってはかわいい(が、あまり鳥っぽくない)。それよりも、完全な夜行性で、地面に穴を掘って重低音を発しメスを呼ぶなどという奇妙な生態が鳥オタク心をくすぐるではないか。

なぜ「穴の中で重低音」なのかというとその方が遠くまで届くから。つまり普段はオスもメスも広いテリトリーの中で孤独な生活をしており、繁殖期には何キロも先に届くように広告を出さなければならないのだ。メスは夜のしじまに響き渡る低音にひかれてオスを探す。で、問題はカカポは飛べない、ということは彼女はベース音を頼りに山道を何キロも歩いてオスのところまでやってくるわけだ。鳥か?本当に鳥なのか?

カカポについて一般向けに書かれている本に Douglas Adams (SF作家、『銀河ヒッチハイクガイド』が有名)の "Last Chance to See..." がある。もう15年前の本で作者も亡くなってしまったけど(嗚呼・・・)、コモドオオトカゲやヨウスコウカワイルカなど各地の絶滅危惧種をたずねる旅をつづった「おもしろうてやがて悲しき」話がいっぱい。↓のサイトでコモド島旅行記が読める。

http://www.tdv.com/lastchance/index.html

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2006年1月 1日 (日)

Red Tails in Love

年末のチョウゲンボウに続いて、マンハッタンはセントラルパークのアカオノスリの話を。といってもニューヨークに来ているわけではなくて、How to be a Bad Birdwatcher の記事で「もう一冊の本」と書いたのがこの本なのだ Red Tails in Love, by Marie Winn, Vintage Books

セントラルパークの東側、五番街と言えば超高級アパートの立ち並ぶ界隈。そこに10年ほど前からノスリの一種 red tailed hawk (アカオノスリ)が住みつき繁殖しているのは、かの地ではけっこう有名な話らしい(ドキュメンタリー映画もある)。

著者はバーダーとしてはしろうとのジャーナリストだったが、この鳥に出会ってからその魅力に取り憑かれ、嵐の日も雪の日も公園に通うようになった。本はかれらの生活の様子と、著者と同じようにホークウォッチの常連となった人々の熱狂ぶりをあまさず描いている。

主役は Pale Male と名づけられたオス。ある日どこからともなくパークにあらわれ、伴侶を見つけて求愛する。さいしょの巣づくりと繁殖の試みが失敗に終わり、そして突然の悲劇。次の年はさらにドラマチックな展開があり、新しいメスが登場、初めての雛が誕生してホークウォッチャー達を狂喜させる。巣の下の部屋に住むセレブリティとの交流、さらに巣を撤去しようとするビルオーナーとの戦いなど、人間側のドラマも盛りだくさんなのだ。 「常連たち」のノリの良さはさすがアメリカ。すごく面白いので、この本が日本で紹介されていないのは残念-どこかの出版社で出しませんか、翻訳やりまっせ。

Pale Male は健在だそうで、彼と家族の様子はいまも著者のウェブサイトでも見ることができる。http://www.mariewinn.com/

関連サイト http://www.palemale.com/index.html

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2005年11月11日 (金)

How to Be a Bad Birdwatcher

鳥日記を書くきっかけになった本のことを。

アメリカ自然史博物館のショップで見つけた
How to Be a (Bad) Birdwatcher, by Simon Barnes, Pantheon Books

『(ヘタな)バードウォッチャーになる方法』 というだけあって、初心者も気軽に鳥を見ることを楽しもうという内容なのだが、それだけじゃない。すでに超優秀なバードウォッチャーである著者が、まるで初心者のような新鮮な驚きと喜びをもって鳥について語るさまは、ベテランのバーダーが読んでこそ感動があるのではないかと思う。

眼目は I do not go birdwatching. I am birdwatching. という文。バードウォッチングはわざわざ出かけるものじゃなく、暮らしの一部だと。

自分ちの庭で、通勤途中で、心の目を開いて空を見上げれば、美しい姿と声をした驚くべき生き物がそこにいる。毎日眺めるうちに、それらの羽ある生き物はあなたの心にも住みつくだろう。というような話がスポーツライターらしい軽快な文章でつづられている。

奥地へ分け入って珍鳥を探したりリストの長さを競ったりじゃなく、毎日近所で見かける鳥の素晴らしさを愛でる。あ、それなら鳥の名前のわからない自分にもできるじゃん。同じときに出会ったもう一冊の本のことはまた今度。

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2005年10月21日 (金)

アースダイバー

いつも仕事で行く工場は湖のそばにある。駅からタクシーで10分ほど湖岸を走り、そのあと背後の丘陵地へ登っていって林を抜けたところが目的地だ。帰りは逆に、林を抜けると湖を見晴らす崖上に出る。ここの湖岸は蓮畑が広がり、バードウォッチングスポットとして紹介もされている場所である。

このところ日没が早くなって帰りは鳥の姿を見られないのが残念なのだが、今日はちょうど暮れなずむ紫色の湖面に舟の明かりが金色に映えている景色に出くわした。紫紺の空に黒々と立ちはだかる杉木立のシルエット。運転手さんがのんびりと「これくらいの時間によくタヌキを見る。毛皮がふさふさしてて可愛いよ」という。

その言葉と、夕暮れの湖と森の光景に一瞬まどわされて、そばの古い農家の門先にタヌキの化けた人物が立っているのを見た気がした。疲れているな、と思いつつ、さいきん読んだ『アースダイバー』 中沢新一著、講談社 の影響だと気がつく。

人間と動物が別ものと考えられるようになったのは中世以降なんだそうだ。それより前、人とけものは同じ環境をわけあう隣人であり兄弟であった。だから昔話にあるように、狐が人を騙したり狸が家を訪ねてきたりということが普通にあることと理解されていた、らしい。

それがいつのまにか別々になってしまったのはなぜなんだろう。いつから人間は動物より優れていることになったのか。私たちが当たり前のように自然保護などと言って、まるで自然が人間より弱いものであるかのように考えているのはどこか変だ--そもそも人間の方がソローいうところの「誰よりも高齢の女性」に護られて生きてきたのではないのか。

かといって、単純に昔はよかった式の感慨にふけってもしかたない。現代社会を昔話の世界に戻すことはできないのだから。けど、心は自由だ。古代の、柔軟に自然と通じあうことのできる心から、世界を変えるヒントを学ぶことだってできるのだ。その頃の人びとの精神世界と現在の都市を自由に行き来できるようにダイビングガイドをしてくれるのが『アースダイバー』である。ついでに『精霊の王』 中沢新一著、講談社も。

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2005年10月11日 (火)

ウォールデン 森の生活

『ウォールデン 森の生活』 ヘンリー・デイヴィッド・ソロー著、今泉吉晴訳、小学館
鳥を愛する人はすべからく読むべしと思う。以前からあった翻訳は堅くて読みづらかった(じつは昔いちど読もうとしてギブアップした)が、とてもいい訳が今年になって出た。夏ごろから少しずつ、うまいチーズを端から削るようにして読んでいる。

きょうの昼休みに読んだところ
「ヨタカの優美でほっそりした翼は、空につかみ取られたウォールデン池のさざ波のようにも、空に風で運ばれた木の葉のようにも見えます。これぞ、自然の中の類縁関係です。」p.203

フラクタル理論なんかが出てくるずっと以前に、天然につくられた形態にみられる相似形が鋭い感覚でとらえられている。そして次の段落では、ヨタカよりさらに力強いタカの飛翔が池より広い海の波にたとえられ、ソロー自身の思考のリズムを体現しているとさえ表現される。

タカのはばたきは海のうねり、心の動き。つぎにタカに会ったとき、そんな風に感じることができるだろうか。(チョウのはばたきがハリケーンを引き起こすという話は有名だが…それを茶化した小説も最近読んだぞ。ついでに記しておくと『ふたりジャネット』 テリィ・ビッスン著 中村融訳 河出書房新社 の中の短編「時間通りに教会へ」 ラファティにも通じるヘンな味わいのSFだ)

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