2006年7月15日 (土)

ラオス旅行記 バンコク

きょうもエクスプレスボートに乗って上流へ。川辺のレストランでブランチ、スネークヘッドフィッシュが食べたかったけれど残念ながら品切れでまたナマズにする。

バックパッカーの聖地カオサンをざっと回り(見るものなし)、ムエタイジムに入門する予定の連れと別れて町へ戻る。ところでラオスにもやはり格闘技のムエラオがあるそうだ。ムエイ・ライ・ラーオという呼び方のほうが普通らしいが。

ピアにあるショッピングセンターで買い物。ラオスの生活をすっかり忘れ、物欲のままに買いあさる。ああいかんと反省しつつ、足マッサージへ。今年はいろんな都市でやってもらったけれど、そのうちで2番目くらいによかったかも。チップをはずんで出て、向かいの屋台で隣の人が食べているものを指差して頼む。あんかけそばという感じであっさり。うまい。今回は連れが腹を壊したのであまりレストランに行けなくて屋台ばかりだったけれどそれもまたよし。グリーンカレーとトムヤムクンだけがタイ料理じゃないということで。

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2006年7月14日 (金)

ラオス旅行記 バンコク

今回の宿はチャオプラヤー川の岸辺だ。やや高級なところを週末割引料金でとったので、ホテルの中では一銭も落とさないことに決めている。朝食は真下のピアに出ていた屋台で魚カレー。小骨が多いがうまい。

このロケーションはエクスプレスボートであちこち行けて便利。炎熱の街と違い川の上は涼しくて快適だ。眺めもよし。川べりにかぶさるように家が建って、というかキノコよろしく生えて、互いによりそって支えあっている。それが近代的なショッピングセンターと隣り合っている。

エメラルド仏を見に王宮へ。歴史の荒波にもまれタイ→ラオス→タイと移動した仏様だ。ラオスでは「タイに奪われた」ことになっているが、タイに言わせれば「ラオスから取り戻した」ということらしい。もちろんバンコクにあった方がビエンチャンよりずっと立派なお堂にまつられて、一日に何千人という人々から拝まれるのだが。でもきっと仏様自身はそんなことは気にかけていらっしゃらないだろう。

あと気になったのが、小学生の団体が多いのだが肥満児率が高いぞ。タイ人って皆すらりとしていると思っていたが・・・これが近代化というものなのか。

夜、ルンピニースタジアムでムエイタイを観戦。古色蒼然とした暗い建物で、リング上だけが蛍光灯に照らされている。リングサイド席は外国人ばかり。ジモティ用の二階席の方が異様な盛り上がりをみせる。当然みんな賭けているのだ。そこここに胴元が立っていていろんな手振りでベットを受け付けている。メインの試合が近づいてくると1キック、1パンチごとに「オウッ」という掛け声がかかる。みな自分が賭けている側に声をかけるので、接近戦の膝蹴りの応酬にでもなると「オッ」「オウッ」とスタジアムを揺るがすような喚声があがる。ここは今年の末に取り壊して改築されるそうだが、この雰囲気が変わってしまうのは残念かも。

近くの屋台でチキンなど選んで食べる。うまい。がやはりビールの味が薄くて物足りない。ビアラオが恋しい。

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2006年7月13日 (木)

ラオス旅行記 ビエンチャン→バンコク

移動日なのでたいしたことはできず、タラート・サオへ。練乳入りのラオ・コーヒーはどうも苦手だが、ここでちゃんとネルの袋で淹れたのを飲んで初めておいしいと思った。

裏に食品の市場あり、野菜売場の美しさ(緑と白と紫のナス、赤と緑のトウガラシ・・・)に目を奪われる。足元はぬかるんで泥だらけなのだが。その他魚、蛙、アヒル、ニワトリすべて活。バスターミナルでカイ・ルゥク(雛になりかけの卵を茹でたやつ)発見。

サンドイッチ買って空港までトゥクトゥクをつかまえる。値切ると一番ボロくて英語を話せないドライバーに回されてしまった。車がのろい分ビエンチャンの街とゆっくり別れを惜しむ。これから都会に向かうので出発ロビーのトイレで泥まみれの靴とパンツを着替えるが、昨日のお祈り糸は手に巻いておく。本2冊かう。乗り込んで離陸、すぐにメコンを渡るともうタイ領だ。

17:30バンコク着、ビエンチャンとのあまりの格差に連れは驚いている。渋滞にはまりやっとのことでホテルに着くとさらに差が際立つ。美しい夜景と、美しいけれど珍しくはない、というかどこへ行っても同じような内装。

夕食は屋台で麺、具が練り物ばかりでいまいち。ライムがないと物足りない。行ったジャズハウスでビールがハイネケンしかない、物足りない。帰って洗濯する。服と下着に豚の脂とライムと煙の匂いがしみついていて取れない。実はこれ、全部ラオス料理の特徴なのだ。ああもうすでに懐かしいぞ。

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2006年7月12日 (水)

ラオス旅行記 ルアンパバーン→ビエンチャン

けさもカーン川沿いを散歩。メコンとの合流点にあるお寺ワット・シェントーン。信じられないくらい豪奢で美しい。

朝食は昨日のカオソーイ屋の並びにあるカオピャック屋(米粉のうどん風)、薄味でうまい。

今日はゲストハウスの主人が親戚の赤ん坊の誕生祝いに連れて行ってくれるという。ゲストはドイツ人2、米国人3、日本人2の全部で7人だ。

家の庭には客用のテーブルが並んでいたが、われわれ外国人は居間にあがらせてもらえた。親戚たちは赤ん坊と家族を囲んでゴザをしいた床に座っている。大きな銀の盆にお祝いの飾りがしつらえてある。お寺でもよく見かけた、バナナの葉とマリゴールドの花で作ったストゥーパと、竹ひごに白い綿糸をたくさん花のように結びつけたものだ。

部屋の奥には神棚(仏壇?)、昔ふうのテレビがあり、昔の日本の家のようで懐かしい気がする。隅にはなぜかサンヨーのでかい冷蔵庫がある。隣は土間になった台所で、女性たちが大忙しで働いている。

儀式が始まった。親戚の長老らしいおじさんがお祈りをあげてから、みなで竹ひごの綿糸を一本ずつ取って、母親と赤ん坊の手首に巻いて結んでいく。こうやって親子の幸せを祈るのだ。我々もささやかな贈り物をして糸を結び、祈らせてもらった。

それが終わると御馳走がどんどん運ばれてくる。ココナツのお菓子、チキン、魚、ビアラオに薬草入りラオラオ。素麺(そっくり)にココナツカレーと野菜をかける料理、血豆腐入り。パイナップル。その他覚えきれずとうてい食べきれない。日本語のできる親戚のおじさんとおしゃべりする。ほかのおじさん達は食べるより先にラオラオを酌みかわしてすっかりできあがっている。

昼からはお坊さんも来るというのでもっといたかったが、ビエンチャン行き飛行機の時間があるので別れを惜しみつつ礼をいって辞去する。

到着したワッタイ空港で待っているタクシーはどれもものすごい年代ものだ。私が生まれる前の家族アルバムに「父が最初に買った車」の写真があったが、あれと同じ型に違いない。

今夜もメコン河岸へ。ナマズを焼いてもらう。うまい。対岸で稲妻が光っているのを眺めているうちに風が急激に冷たくなり、そのうち暴風に。あちこちでテーブルクロスが飛びグラスが割れ、客は叫びウェイターと乞食と犬が走り回る。そのまま食い逃げできそうだったが10ドル払って帰った(高い)。夜中になって激しい雨。

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2006年7月11日 (火)

ラオス旅行記 ルアンパバーン

朝、カーン川沿いを歩き、カオソーイ屋へ。ダシのきいたスープ(蝦醤かも)にきしめん風の米粉の麺。それに揚げたおこげを割って入れる。うまい。野菜が別皿についてくる。ミント、バジル、香菜、ライム、生のインゲンなどが山盛り。

きょうはトゥクトゥクでお出かけ。まず昨日プーシーから見えたお寺へ。壁の地獄&天国絵図がポップで笑える。

織物の村バーン・パノム。大きい倉庫みたいなところに売り子さんが並んで座って売りつけてくる。$5で自分用に一枚。次の村はも少しいい感じ。庭がワークショップになってる家がある。中国国境に近い村で医者をやってるという息子さんが休日で帰省していて相手してくれた。織り手さんを10人以上雇ってワークショップをやっており、蚕を育てるところから染色まで自分のところで手がけているそうだ。

ラオシルクのものはけっこう高い。が発色が違うし、中国製のは安いが比べてみると欲しいとは思わない。やり手っぽい母ちゃんは英語できるに違いないが分からないふりをして値切らせない。自分用に欲しかったのが$15と$28だったのであきらめて一枚だけにする。ちょっと後悔。こういうとき現地の金銭感覚から抜けられなくて失敗する。

部屋に戻る前にコロニアルな雰囲気のラオ・エアラインズのオフィスへ寄って帰りの便をリコンファーム(チケットは当然、なつかしの複写式の赤い紙)、蒸し風呂に行ってから夜はメコン川沿いのレストランへ。お米の醸造酒ラオラーイ(赤くて甘ずっぱく発泡のイチゴジュースみたいな味)、ビアラオ、モッカイパ(ビエンチャンのはプリン風だったがここのは魚ぽくてハンペンみたい)、川海苔、猪のラープ、ココナツチキン、カオニャオなど苦しいくらい。

夜市を通って帰る。売り子達が何か手振りをするのでみると自分のスカートに巨大なセミがとまっていた。

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2006年7月10日 (月)

ラオス旅行記 ルアンパバーン

昼寝&昼食のあと、ルアンパバーンの名刹のひとつワット・セーンへ行く。小僧さんたちが境内にたむろしている。今日は特別な日なのでお寺から出てはいけないのだそうだ。みんな英語や日本語を覚えようと熱心に話しかけてくる。お坊さんの格好はしていてもフツーの男の子たちである。

本堂でこれから説教が始まるから入って聞いていけばいいといわれた。お堂はもう地元の人でいっぱいだ。私たちを含めた外国人は隅っこにかたまって座る。ルアンパバーンに着いてからいくつかのお寺を見てまわったが、大仏風というか大きいけれど素朴な仏像が多かった。しかしここの仏様は優雅ですらりとした立ち姿。日本人にはこの方が親しみやすい。

そのうちに何かアナウンスがあって、高齢の、おそらく高位のお坊さんがあらわれてお経を詠みはじめた。わけわからないなりに非常にありがたい気持ちになる。

日没前にプーシーに登ることにする。町の中央にある小山で、300段以上ある階段を上がる。真下をメコンが右から左へ流れていく。その向こうから夕陽が差してきた。街並みとお寺の屋根がいっせいに金色に輝き、メコンの濁った水面すら金泥を流したように神々しく見える。ルアンパバーン建設のいわれにはたくさんの伝説があるそうだが、そのうちの一つである姉弟の寝姿に似た山並みが美しい。

国立劇場のダンス(まあまあ)を見てから夜市の屋台で食事して帰る。

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ラオス旅行記 ルアンパバーン

朝ご飯はきのう目をつけていたお粥屋へ行く。鶏ダシの中華粥(漢字で「稀飯」と書いてあった)に豚肉と野菜がのっている。それに揚げパンをはさみで切って入れてくれた。

市場を見たかったのだがタラート・ダラは休業中。タラート・プーシーまで歩く。これが凄かった。日用品、食料など、町の規模を反映してそれほど大きくはないのだが、品揃えは今まで見た中でいちばんディープ。野菜セクションを抜けるといきなり牛を解体した部品が順番に並べられていて、名前も知らない臓物が次から次へと襲ってくる。目だけでなく鼻のほうもやられるので逃げ出しそうになるが我慢して奥まで進むときわめつけが横たわっていた。紫色の体になぜかひづめが黄緑色をしたレトリーバー犬サイズの胎児。うきゃー。

お次は豚セクション、骨付きバラに塊肉はいうにおよばず、タライいっぱいの真っ赤な血豆腐、細長い生殖器を束ねたものに、山盛りになった胎児(こっちは白くてラット大なので可愛いものだ)。次は魚。みんな生きてます。大小のなまず。コイみたいだけれど縦に平べったいの。小さくてヒレの赤いやつ。銀色の小さいの。ネットで蓋してあるタライはRana属らしい蛙。

外に出るとそこにも山積みになったマンゴーとパイナップル。山が崩れて転がり落ちたマンゴーがトラックに轢かれているのを見ているうちにわからなくなった。経済大国ってことになってる私の国と、これだけの農水産物がタダみたいな値段で手に入る国と、いったいどちらが豊かなのだろうか?私が毎日あくせく働いて手にする給料は、ここの人たちからすれば天文学的な金額だ。しかしそれでも都市では工業製品みたいな食べ物しか手に入らないのだ・・・こんな生活って、私たちが本当に望んだものなのか?

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ラオス旅行記 ルアンパバーン

朝4時半、腹に響く太鼓の音で目が覚める。きょうは仏教のお祭りの日(たくさんあるが、その中でも特別)なのだそうだ。全国からお坊さんが集まり、長い行列をくんで托鉢にまわると聞いていたので、早起きして待ち構えることにする。外は雨が降っている。

夜明け前になるとゲストハウスの前の道にも地元の人達が供物を持って並び始めた。みな竹製の蒸籠いっぱいのお米や、精緻な銀細工の壷に入れたお菓子などを用意している。行商のおばさんがお米の蒸籠を売りにきたので一つ求める。

男は立っていていいが女はひざまずいて僧侶を迎えるのが決まりだというので、近所のおばさん達のゴザの端っこに座らせてもらう。いちおう失礼にならぬよう長いスカートに長袖のシャツを着ていったのだが、向かいの土産物屋のおばさんが「ちょっと待ってて」と言うや売り物の飾り帯を持ってきて結んでくれた。これで衣装も完璧。

空が白んできた頃、霧雨のむこうから幻のようにサフラン色の衣の列があらわれた。雨に濡れた舗道を音もなく近づいてくる。

私が育った場所の近くには大きな禅寺があって、やはり托鉢のお坊さんが「オー(法)、オー(法)」と唱えながら巡ってきた。子供心にはその声とお坊さんの黒い衣が恐ろしかった。母親に「悪いことしたらオーのおじさんに連れてってもらうえ」と脅されたものだ。

しかしここの托鉢は無言でひたひたとやってくる。よくみると僧侶といってもみな若い。高校生くらいの少年から小学生くらいの男の子もいる。みな肩にかけた紐に銀の壷を下げている。一人ずつ通りすぎるときに、その壷にご飯をひとつかみ握ったものを入れる。蒸したてのお米でやけどしそうになる。

さいしょの場所にやってきたお坊さんは数人だけだったが、大きいお寺のそばに行くと何百人もの列が・・・みなの蒸籠がからっぽになったあとも行列は続き、終わったときには空はすっかり明るくなっていた。

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2006年7月 9日 (日)

ラオス旅行記 ルアンパバーン

こぎれいなゲストハウスにチェックインしてから町をぶらつく。観光客はヨーロッパ人が多いもよう。鳥はあまり見ないが、町のあちこちに蝶が飛んでいる。とくに飛行機から見えたプーシー山の斜面の木陰には、白とオレンジ色の蝶、緑と黄色のペア、黒いアゲハなどがたくさん舞っていた。

王宮を見に行く。ラオス風とフランス風を折衷した不思議な場所だ。それなりに壮麗なのだが、これが建てられた複雑な時代背景やその後の王族の悲劇を想わされてしまう。

その後赤十字がやっている薬草サウナ。スウェーデン人が始めたというだけあってお寺の小屋とは違い気密性の高い部屋でやや苦しい。地元率はこっちの方が高い。

夕食はルアンパバーン料理の店。オーラームという煮込み、ショウガに似ているがもっと強烈な刺激のスパイス(あとで調べると蔓植物らしい)が効いていてものすごく辛い。それと発酵させた魚のスープ、赤米のカオニャオ。

食事が終わってメインストリートへ出ると歩行者天国になっていてみやげ物を売っている。素朴な手工芸品が中心だが、売り物よりもその雰囲気に心を打たれた。そこここに裸電球の明かりがぽうっと点り、観光地につきものの騒がしい音楽はまったくなくて、行きかう人々のいろいろな言葉が静かに聞こえてくるだけの、何か夢の中のような光景だ。子供の頃想像していた天国のような。

あと何年かすればこの国でもラジカセが高級品でなくなり、こんな静かで美しい夜市もなくなってしまうのだろうな。おやつに屋台のココナツ餅を買って帰る。うまい。

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ラオス旅行記 ビエンチャン→ルアンパバーン

ビエンチャンから世界遺産の古都ルアンパバーンへ向かう。空港で待っていたのはさらに小さいプロペラ機、座席は横3列。中国軍払い下げのHarbin Yunshuji Y12という機材だそうだ。翼の下の席に座ったら、壁がやけどしそうに熱いのでちょっとびびった。滑走路の端で停まったままエンジンテスト?をしてからおもむろに飛び立つ。

メコン川をなぞるように北上する。ビエンチャン周辺は平野で一面の水田地帯だ。途中から山が多くなり、右手にダム湖のナムグム湖が見える。ここの電気をタイに売るのがラオスの主要な外貨獲得手段だそうな。

そのまま緑濃い山中を飛びつづけ、高度が下がってきた。よっこらしょというかんじで最後の峰を飛び越えると、前方に横たわるメコン川。機はその手前で右旋回し、細長いルアンパバーンの町をなぞるように空港へ進入していく。メコンとカーンのふたつの川が合流する美しい谷にできた百万の象の都、かつてインドシナ一帯に隆盛を誇ったラーンサーン王国の首都だ。町の中央部にある丘の上に、白と金の仏塔が輝いて見えた。

(Lao Airlinesの機材については、Ito Noriyukiさんのホームページ<飛行機・飛行機・飛行機>を参考にさせていただきました。世界中のローカル空港へ旅したくなるHPです。ルアンパバーン空港の風景写真もあります)

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